世界設定




 彼女は、眩しい光の奔流に包まれていた。
 いつもの生活、いつもの横断歩道を渡り、見慣れたキャンパスの建物を見上げた時、それは突然に起こったのだ。
 衝撃は感じなかった。ただ浮遊感だけを覚えている。
──僕は死んだのか
 そんな言葉が脳裏に浮かんだ刹那、全ての感覚が戻ってきた。
 地面から伝わる暖かさ、虫の声、草木の匂い。
 彼女は、むき出しの大地から上半身を持ち上げ、ずれて鼻にかかっていた眼鏡を押し上げる。
 青々と茂った雑草の向こうには、見たこともないような田舎の風景が広がっていた。
 正直意味が分からなかった。自分は、たった今、明治通りに居たのだ。かやぶき屋根、ワード「白川郷」で画像検索したような建物があるはずがない。
 反射的に、視線は左手の定位置、スマホへと向いていた。画面には、予定の授業に間に合う時刻が小さく表示されている。
「ここは何処っ‥‥」
 しかし、Siriは何も答えてはくれなかった。無線LANはおろか、携帯電波すらもここには届いていないからだ。

 刻は寛永15年、江戸の世にまた一人、新たな「来世人(らいせびと)」がやってきた。
 ∇現代日本の大騒動



 鬼――それは、10年ほど前に突如として現れた、荒ぶる異形。人を殺め喰らうバケモノ。
 姿形は様々だが、共通しているのは、人間を襲い、危害を加えようとする悪意。
 平和だった徳川の世は鬼の出現により、戦国時代に戻ったような、殺伐とした世界に変わってしまった。
 鬼の生態について、まだ多くのことが分かっていない。特記すべきはその再生能力。氣を操る一流の武人を除き、大和人には、完全に滅する術が無いことだ。
 ∇犠牲になった村
 ∇鬼について(寛永18年1月版)
 ∇妖怪について



曇りなき心の月をさき立てて
      浮世の闇を照らしてぞ行く
――寛永13年 伊達政宗 辞世の句

 来世人(らいせびと)、すなわち現代からの来訪者を、寛永期の人々はこう呼んだ。
 鬼の荒魂を滅し、妖怪や怨霊を成仏させる法力を操り、また、幾つもの神の業を顕示する。
 今日の彼らの地位があるのは、5年前に十数人の来世人を庇護し、将軍「徳川家光」にその存在を説いた伊達政宗公の尽力に他ならない。
 それを契機に、将軍家、諸大名、朝廷までもがその理解に動いたからである。
 彼らが初めて来世から訪れたとされる時期には諸説あった。
 熊野三山の山伏は100年以上前であると云い、また、朝廷の陰陽頭は10年ほど前であろうと語った。
 そして、本来ならば、決して有り得てはならない帝の言葉(詔(みことのり))が、将軍や諸大名に伝えられる。
 それは、秘書として伏せられていた「金烏玉兎集(きんうぎょくとしゅう)」の六ノ巻の存在と、その内容であった。
 平安時代に安倍家によって編纂された六ノ巻には、近年の鬼や妖怪の跋扈と、来世からの神使(つかわしめ)の降臨が予言されていたという。
 もう迷い、疑う必要はなかった。
 刻がたち、最大の功労者たる政宗公は、病症により臨終を迎える。最後に、懇意としていた来世人へ、この世の行く末を託す意を込めた句を詠んだとされる。
 現在、徳川幕府は、来世人を手厚く保護し、武士階級に相当する地位を与えている。また、鬼や妖怪退治の褒賞として、その生活やギルドを支援している。
 ∇法力と属性
 ∇来世人の神の業
 ∇来世人の風貌
 ∇寛永期への影響
 ∇来世人召喚の元凶は安倍晴明?
 ∇大和人、来世人ギルドに参戦



「いらっしゃい。新作の武器もあるよ。ぜひ見て行って!」
 伝統的な和風家屋の一室に、バラエティな品々が所狭しと並べられている、なんとも不思議な光景だ。日本刀や弓矢から、電子機器やバイクまで売っている!
 また、不定期ではあるが、ガソリンや現代の弾薬なども入荷することがあるらしい。
 ――ここは来世人のための、来世人ギルドが経営する商店だ。
 来世人ギルドとは、来世人が存分に力を発揮できるよう、その活動をサポートしてくれる互助団体だ。
 物を売買する他にも、鬼退治の仕事の斡旋など、様々なサービスを提供してくれる。
 来世人ギルドを運営しているのは、君より早く来た先輩の来世人たちだ。
 彼らの試行錯誤と努力研鑽のお陰で、こうした便利なギルドの恩恵を受けることが出来るというわけ。
 もちろん、何事もコストがかかるわけで、タダとはいかないのだけど。
 ∇雷の神様ありがとう



 来世人が、寛永期に来てまず最初に混乱するのが「暦」と「刻」であろう。
 まずは暦だが、宣明暦(太陰太陽暦)を採用しており、現代と考え方が全く違う。
 おおよそ、ユーザーが過ごしている季節と1ヶ月半の誤差があるのだ。
 サイトのTOPページには、ゲーム世界内の暦を表示し、季節感は現代の今の月日と一致させることでこれを解決している。
 例えば、サイトに「寛永15年戊寅 2月28日(大安)」と表示される日は、ユーザー視点で2015/4/12となる。江戸の桜はそろそろ散ってしまうこととなろう。
 次に刻(時間)だが、来世人が持ち込んだ高度な技術の結晶である「時計」は、この世界の時刻と合わない。
 この時代は、「日の出から日の入りを6つ、日の入りから日の出を6つに分け、それぞれを1刻とする、1日12刻」という方式を採っており、時刻が季節によって変動するからだ。
 ∇寛永の暦と刻
 ∇時を告げる鐘の音



 来世人である君は、鬼退治などの事件を解決すると、幕府から報奨金を貰える。
 報奨金を使って来世人ギルドで装備を買ったり、生活に必要な衣食住を手に入れたりするわけだが、ここで、この時代の衣食住について軽く説明しよう。

 町人は主に「小袖」と呼ばれる衣服を着用している。男性は袴をつけることがあるが、女性は着流しである。
 素材は木綿か麻が一般的。絹や毛織物は高価で、裕福な者しか着ない。
 下着は男性は褌を締める。女性は裾除けまたは腰巻と呼ばれる布を巻くことがあるが、基本ノーパン。
 デザイン・柄・色については、身分・地域・性別などによって様々。
 冬には袷と呼ばれる裏地付きのものを着たり、中綿を詰めたものを着て、寒さを凌ぐ。

 この時代は1日2食(朝・夕)が基本である。昼飯・間食は力仕事・重労働をする者がとるもので、野卑だとする見方もある。
 庶民の食事は一汁一菜程度であり、米の他、麦や蕎麦、粟・稗などの雑穀が主食として食べられている。
 ∇食材・雑貨・文化等の流通具合(一例)
 ∇スイーツは特別。砂糖は薬!?
 ∇食材とゲーム的解決

 基本的に木造建築で、雨戸・襖・障子も木と紙で出来ているため、火事に対して脆い。
 江戸の大多数を占める町民が住むのは、「長屋」と呼ばれる質素な集合住宅。
 6畳位の部屋が1つか2つ、土間と台所と玄関が付く。トイレ・井戸・ゴミ捨て場は共同。風呂はない(近所の銭湯を利用する)。
 長屋の壁は薄くて、プライバシーは無いも同然。



 寛永期では、金・銀・銅の貨幣が使われている。
 金貨(小判)は価値が高く、高額な取引や公的な支払いにしか使われない。庶民はもっぱら銅貨(文)、いわゆる北町奉行所の銭形平次でもお馴染みの「寛永通宝」が一般的だ。
 各通貨、および、円としてのおおよその価値、そしてゲーム内の疑似通貨単位であるCP(コネクションポイント)のレートは下記となる。

 ∇江戸ッ子の家計簿
 ∇寛永期の物価



江戸

 徳川家康から家光まで、3代に渡って建設が続けられてきた江戸城が完成し、今なお町の拡張が続けられている天下のお膝元。
 東の大都市として多くの人々が集まってきており、すでにこの時代、日本の3大都市に数えられる大きさを持つに到っているが、他の2都市と比べると人口はまだ少ない(およそ20万人)。
 また、都市としてもまだ発展途上にあり、政治、行政の中心地として成り立ちつつあるが、商業、文化の面では他2都市に大きく譲っている。
  ∇日本橋

京都

 朝廷が座する1000年の都。徳川幕府成立後、幕府の援助によって多くの寺社仏閣が建立されている。
 観光都市としての開発も進んでおり、3大都市の中で最も多くの人口を有していることから(およそ40万人)、経済活動も活発であり、大坂と並んで上方と呼ばれ、経済の中心地であった。
 また、この時代、京都は日本最大の工業地帯でもあり、西陣織や京焼などの高価な名産品が多数生み出されている。

大坂

 大坂夏の陣で戦場となったため一時荒廃していたが、江戸幕府成立後は直轄地として大坂城も再建され、町も復興され日本3大都市に数えられる規模にまで到った。
 河川の改修がおこなわれ、諸藩もこの町に蔵屋敷を置いたことから全国から年貢米が集中し、江戸に幕府が開かれたのちも経済の中心地はこちらであった。
 人口の面では京都に譲るものの(およそ25万人)、京都と並んで上方と呼ばれ、経済の流通の最重要地点として大いに栄えている。



統治制度

 江戸幕府を最高統治機関として全ての武士の頂点に置き、配下となる諸大名がそれぞれ各地である程度独立した統治機構を形成する体制のことである。
 石高制を経済の基準としており、租税は全て米などの現物による年貢で賄われる。そのため、各藩の規模は全て石高で表される。
 その他、幕府は諸大名を親藩、譜代、外様に分類し、それぞれに対して扱いを変えていたり、参勤交代などの諸制度によって統制を進めていた。
 これら統治体制のもと、農村部では豊臣治世下に行なわれた太閤検地を基にした、村単位で年貢を納める村請制度が確立された。
 また、禁教令に端を発する鎖国体制もこの頃になるとほぼ完成しており、日本と外国との接点は極めて小さくなっている。

士農工商

 来世人の中には「士農工商」がこの時代における身分制度であると勘違いしている者がいるかもしれない。
 しかしそれは正しい認識ではない。本来、「士農工商」とは社会を構成する主要な職業を示す言葉でしかないのだ。
 この時代、一般的には武士が統治する側として特権階級扱いされるのに対し、それ以外の職業の者は全て統治される側である。
 商人、職人、農民の間に身分格差はなく、農民は農作以外の仕事に就くこともあったし、商人や職人が農耕を行なうこともあった。
 ∇認められた特例と来世のお祭り
 ∇切捨御免



1月
(睦月)
正月 年の初めを祝う行事。初詣には「恵方」という縁起のいい方角にある神社にお参りし、お年玉はお金の他、酒や餅などを贈り合っていた。
七草粥 五節句の1つに数えられる、7日に七草を入れた粥を食べる風習。調理中、「七草囃子」を唄いながら七草をすりこぎで叩いて作っていた。
2月
(如月)
針供養 8日に行なわれる「事納め」という行事の一環で、女性が針を豆腐やこんにゃくに刺して針の労をねぎらい、それを神社に納めて裁縫上達を祈った。
ばれんたいん祭 来世から持ち込まれた新しい祭。14日には大事な人に告白してもよい、という名目で始めたが、お歳暮文化との混同も見られ、現代のものとは微妙に違う広まりを見せている。
3月
(弥生)
桃の節句 五節句の1つに数えられる。雛祭り。災いを紙人形に移して川に流す、あるいは火にくべる、陰陽道の「撫物」を由来とする。この時代の雛人形は男女一対の内裏雛を飾るだけのもの。
梅見 1年のうち、最も早い時期から見ることができる花。花見といえば「梅に始まり菊に終わる」といわれていた。静かに咲いた梅の香りなどを楽しむのが主流だった。
ほわいとでい祭 来世から持ち込まれた新しい祭。ばれんたいん祭に頂きものをした人がお返しをする日、などといわれるが、まだこの時代に定着しておらず、どういう形になるかは不透明。

4月
(卯月)
嘘つき祭 1日だけは嘘をついてもいいという、来世のお祭り。
衣替え 幕府によって年4回行なわれることが決められている。服の中から綿を抜き、5月になれば裏地をとって布地1枚限りの夏服にした。9月になったらまた冬の装いに替えた。
初鰹 初ものの鰹は特に人気が高かった。相模湾辺りであがり、「走りの鰹」とも呼ばれた。まず将軍家に献上され、それから市場に出回ったとされる。
5月
(皐月)
端午の節句 五節句の1つに数えられる、5日に行なわれるこの行事は「菖蒲(尚武)の節句」とも呼ばれ、軒先に菖蒲とよもぎをさしたりし、大名や旗本は式服で江戸城に参って将軍にお祝いを奉じた。
6月
(水無月)
山王祭 江戸にある日枝神社から大きな神輿を担ぐ大規模なお祭り。この神輿は江戸城の入場が認められており、江戸城内で将軍が上覧することもあった。

7月
(文月)
七夕 五節句の1つに数えられる行事で、中国から伝えられた織姫と彦星の故事を由来としている。裁縫の上達を願って素麺を食したり、願いを込めて野菜をお供えしなりしていた。
お盆 13~16日に渡って行なわれる、先祖の霊を迎え、供養して送りだす行事。あつらえた精霊棚と呼ばれる神棚にお供え物をして先祖の霊を祀る。
8月
(葉月)
八朔 かつて徳川家康が1日に江戸に入ったことを由来として行なわれるようになった行事。武士達が白い装束で江戸城に参り、将軍にお祝いを述べ、庶民たちもこの日は白い衣装を着た。
お月見 15日の月を眺めて宴を開く行事。江戸ではこの日に見える月は「芋名月」と呼び、すすきなど秋の七草を供え、米の粉で作った団子や里芋を食べたりしていた。
9月
(長月)
重陽の節句 五節句の1つに数えられ、9日に行なわれる行事。「菊の節句」とも呼ばれ、この日は長寿を願って菊の花を飾ったり、武士は菊を浮かべた酒を飲んだりする。

10月
(神無月)
えびす講 出雲に赴かない留守神とされるえびす様を祀り、五穀豊穣や商売繁盛を祈願するお祭り。祭りの前日には市が開かれ、様々な店が立つという。
はろうぃん祭 来世から持ち込まれた新しい祭。来世人の必死の普及活動により、おおむね現代に似た形で定着しつつある。
11月
(霜月)
七五三 子供が3歳、5歳、7歳(数え年)になったときに行なうお祝いの行事。3歳の男女には「髪置き」、5歳の男児には「袴儀」、7歳の女児には「帯解き」の儀式がそれぞれ行なわれた。
酉の市 11月の酉の日、酉の刻頃に開かれる大きな露天市。一年の無事と来る年の福を願って、熊手や招き猫などの縁起物を買ったりする。
12月
(師走)
すす払い 13日に行なわれる、正月を迎える前に家の内外のすすやちりを払って掃除する行事。この日は正月を迎えるにあたって準備をする日であるとされている。
霜月祭
(くりすます祭)
近年、来世人の働きかけで流行の兆しを見せる来世のお祭り。24日や25日に宴を開き、子供や連れ合い、伴侶に贈り物を渡す日。しかし、御禁制のキリシタン由来の祭ではないかと取り締まられかけたため、日本古来の霜月祭の一環という形で幕府をごまかしている。
大みそか
(節分)
みそかとはその月の最後の日を指す言葉であり、1年の最後のみそかを大みそかという。1年の穢れを祓う「大祓い」が神社で行なわれたりする。
節分は立春の前日、すなわち大みそかに行われた。軒に柊の枝や鰯の頭を飾り、豆をまく。陰陽師が豆をまいて鬼を退治したとか、節分の豆まきで鬼の目が潰せた、などの伝承があるが、実際この日だけは、鬼に対して豆まきが強力な効果を発揮することが確認されている。